読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

X JAPANファンブログ~運命共同体必見!最新情報満載!~

X JAPANのファン、通称“運命共同体”の皆さまのために、X JAPAN関連の最新情報を掲載していくファンブログです♪

X JAPANのリーダーYoshikiとは?~波乱万丈の生い立ち~

Yoshikiのプロフィール~誕生日は?血液型は?身長は?~

 

本名:林 佳樹(はやし よしき)

別名:五十嵐美由姫・橘朋実・白鳥瞳・白鳥龍・白鳥麗など

誕生日:1965年11月20日

血液型:X型(B型)

出身地:千葉県館山市

身長:174cm

体重:59kg

 

f:id:wearexforever:20160504160046j:plain

 

 

Yoshikiは幼少期から病弱だった!

 

1965年11月20日に、千葉県館山市の呉服屋を営む家庭で、2人兄弟の長男として生まれました。

 

元々、父がジャズピアノ、母が三味線、祖母が琴の演奏を嗜むなど、林家は音楽一家でした。

 

Yoshikiが4歳になった時に、父からピアノを買い与えられ、自宅の近くのピアノ教室でクラシックピアノのレッスンを受け始めました。

 

幼い頃は、父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き、8歳の時に初めて自分のお小遣いで購入したレコードは、シューベルトの「未完成」とベートーヴェンの「運命」でした。

 

Yoshikiは幼い頃から体が弱く、重い小児喘息を患っていて、小学校中学年くらいまで、頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされていました。

 

入院中は、病室で子供向けの偉人伝を愛読していて、中でも、若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーベンに強い興味と憧れを抱いていました。

 

 

最愛の父の自殺⇒不良少年へ!~それでもYoshikiは諦めなかった~

 

Yoshikiは、なんと9歳の頃からピアノで作曲をしていました。

 

そして、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当していました。

 

林家では、毎年Yoshikiの誕生日には楽器を買い与えることが恒例で、トランペットを始めたのも、Yoshikiの10歳の誕生日に父から買ってもらったことがきっかけだったのですが、その翌年の8月、父を自殺により亡くしています。

 

父の影響で、それまでクラシック音楽しか聴いてこなかったYoshikiですが、父の死後、たまたま行きつけのレコード店で、ジャケットに惹かれて購入した「キッス」のシングルによって、ロックにはまりました。

 

そして、母に頼み込んで連れていってもらったキッスの「ロックンロール・オーバーー・ツアー」の日本武道館公演で、完全にロックに魅了され、ロックに目覚めました!

 

そして、11歳でドラムを始めたのです!

 

実は、Yoshikiは12歳の時にギターも始めたのですが、細かい作業が性に合わなかったようで、早々に手を引いてしまったようです(笑)

 

11歳で初めてバンド「DYNAMITE」を、ギターが弾けた“Toshl”を含む4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨きました。

 

小学校の頃は、Yoshikiはドラムスとボーカルを兼任していたのですが、中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名を「NOISE」に改称しました。

 

こうしてYoshikiはドラムス専任となり、より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に、母に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れて練習を積みました。

 

そして、中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏み、高校進学後も「NOISE」として、レッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏しました。

 

病弱な幼少期を過ごし、小学校高学年の頃に父を自殺で亡くしているYoshikiは、中学高校時代は相当な不良で、暴走族だったらしいのですが、母親から…

 

やることをちゃんとやっておけば何をしてもいい!

 

…と言われていたため、勉強だけはしっかりとやっていて、学校で成績が上位3名に入ったりと、なかなか優秀だったようです!

 

また、ピアノ教室にはしっかりと通い、暴走族の集会に英単語帳を持っていき、暇があれば勉強していたそうです(笑)

 

次の記事では、YoshikiがX JAPAN(X)を結成するまでのことを書きますね♪

広告を非表示にする